考えるという綺麗事な罠
だいぶこころが落ち着いてきました。
峠は越えたので次はこれからどうするか?に
ついて考える時期なのでしょう。
まぁ考えると言っても
ほとんど決まっているんですよね。
何事もどうしようと考えたりしますが
ほぼほぼ答えが決まってるし
こころの中で結論出てるんですよね。
本当はどうしたいかなんて等の昔に
決まっている。
それでも考えるのは他に道があるかも
知れないと可能性にしがみついて
いるからではないでしょうか。
やり方が分からない、成り方が分からない
成れるか分からない。
そんな分からないがたくさん出てくるから
もっと他の道があるかも知れないと
しがみつくんですよね。
でも、仮に他の道があったとして
それはやり方、成り方、成れるかは
保証されるんですかね。
また、その事で考えるんじゃないですかね
そもそも、それをこころの中の
子どもな自分が許すわけがない。
可能性を捨て自分を信じるのは難しいかも
知れない。
でも0.1mmだけ変えてみるのが
自分に優しいんじゃないかな